Japanische Klassiker mit Furigana
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まんようしゅうか
万葉秀歌
斎藤 茂吉
Lesen Sie 万葉秀歌 (まんようしゅうか) von 斎藤 茂吉 (さいとうもきち) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 213.820 Zeichen · 427 Bildschirme
のを見ると、万葉集に散見する献歌の中に、強いて寓意を云々するのは間違だとさえおもえるのである。例えば、「うち手折り多武の山霧しげみかも細川の瀬に波のさわげる」(巻九・一七〇四)という、舎人皇子に献った歌までに寓意を云々するが如きである。つまり、同じく「詔」でも、属目の歌を求められる場合が必ずあるだろうとおもうからである。
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滝の上の三船の山に居る雲の常にあらむとわが思はなくに 〔巻三・二四二〕 弓削皇子
弓削皇子(天武天皇第六皇子、文武天皇三年薨去)が吉野に遊ばれた時の御歌である。滝は宮滝の東南にその跡が残っている。三船山はその南にある。
滝の上の三船の山には、あのようにいつも雲がかかって見えるが、自分等はああいう具合に常住ではない。それが悲しい、というので、「居る雲の」は、「常」にかかるのであろう。「常にあらむとわが思はなくに」の句に深い感慨があって、人麿の、「いさよふ波の行方しらずも」などとも一脈相通ずるものがあるのは、当時の人の心にそういう共通な観相的傾向があったとも解釈することが出来る。なお集中、「常にあらぬかも」、「常ならめやも」