일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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げんだいてつがくこうわ

現代哲学講話

戸坂 潤

戸坂 潤의 現代哲学講話(げんだいてつがくこうわ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 268,337자 · 522화면

아오조라 문고

四

今日、新聞が次第に政党新聞でなくなりつつあるのは取りも直さず、今云ったような運動の結果に外ならない。それはもはや、人々の云うような、新聞の報道化なのではなくて実は新聞の報道価値化(ニュースヴァリュー化)であるが、夫が新聞のセンセーション化の外の何物でもないのである。そして、このセンセーションを単にセンセーションとして徹底したものが、トリヴィアリズムだったのである。かくて所謂世論や所謂ジャーナリズムを未だに信じている処の、大新聞――日本に於ける四大新聞――は、トリヴィアリズムを信奉する処のキング式な低級新聞に於て、その有力な対立物を見出さざるを得なくさえなって来るのである。

四

さて、イデオロギー・世論・ジャーナリズム・トリヴィアリズム、之等は自分のイデオロギー性の自覚と標榜とを標準にして区別される処の、イデオロギーの発展乃至変形の諸形態である。之はイデオロギーのイデオロギー的乃至非イデオロギー的現象形態なのである。併し、元来イデオロギーの機関であった処の新聞――世論とかジャーナリズムを信奉するのも結局イデオロギーを信奉することなのだが――が、何故このような様々の・非イデオロギー的でさえある処の・現象形態を採用しなければならないか。