후리가나로 읽는 일본 고전
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げんだいてつがくこうわ
現代哲学講話
戸坂 潤
戸坂 潤의 現代哲学講話(げんだいてつがくこうわ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 268,337자 · 522화면
文芸理論と科学論とは、イデオロギー論の指導の下に、初めて正当に平行せしめられ対応せしめられることが出来る筈である。
そこで今文芸に於ける実証性の契機は、制作である。その批評性の契機はそして鑑賞だと云うことが出来る。前者は生産的活動の契機、後者は之に反して消費的受容の契機と云っても好いが、文化財に就いては単なる受容はあり得ないので、あるものはいつも批評としての受容でしかないのである。
鑑賞乃至所謂――狭義の――批評は一種の代表的な理解の仕方でなければならないが、理解は解釈によってしか与えられない。処が解釈が正しくあるためには、夫が、単に歴史的意識の上に、意識的に立つばかりではなく、歴史的認識を、歴史的知識を、仮定していなければならない。鑑賞乃至批評は、単なる直接な感受ではなくて、知識=認識によって整理された感受機関によって初めて行なわれる限りの感受でなければならないだろう。だから、印象批評というようなものは――特にその際人々がそれに対して好意を用意しない限り――何の客観性を持つものとも考えられないわけである。そういう意味に於ける印象的・即ち又刹那的・感傷(Leiden)は、まだそれだけでは何の制作力をも持たない処の、そうかと云って又何の批評力をも持っていない処の、非文化財的な原始的感情興奮であるにすぎない