후리가나로 읽는 일본 고전
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げんだいてつがくこうわ
現代哲学講話
戸坂 潤
戸坂 潤의 現代哲学講話(げんだいてつがくこうわ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 268,337자 · 522화면
否、今は単に可能に止まってはいなかった。吾々が見て来た処によれば現にそういう形式主義が横たわっていたのである。それが形式主義であったればこそ、博士は唯物論を斥けようとしたのであった――即物主義。この形式主義が例の道徳主義の本質である。実践の非実践化はだから、実践の形式化から結果したわけである。だからこそ「道徳的実践」の概念は物質的な実践の概念ではあり得なかったのだ。
形式主義は併し、いつも何かの形態の形而上学へ導くものである。質料から離れた形式(形相=エイドス)が、それだけとして自己感応することが形式主義であるが、質料=物質から離れて形式だけが自己感応して出来上ったと考えられる永遠不変な関係の固定的・静的世界が、吾々によれば形而上の世界であり、こういう形而上の世界にとって独特な論理の上に立った理論が、吾々によれば形而上学である。マルクス主義に於ては形而上学とは第一にこのような静止固定の範疇体系を意味している。であるから、形式主義(道徳主義)的な道徳的実践を地盤とし、之を生と論理との媒介としなければならない田辺哲学は、その形式主義から規定される限り、当然一つの形而上学の性格をとらなければならない必然性があったということが判る。