후리가나로 읽는 일본 고전
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げんだいてつがくこうわ
現代哲学講話
戸坂 潤
戸坂 潤의 現代哲学講話(げんだいてつがくこうわ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 268,337자 · 522화면
――だが丁度数学がそうだったと同じに、こうした論理学は全く形式的なもので、従って思惟自身の根本的な本性を問題の日程に上ぼせる程内容的でもなければ具体的でもなかったのである。無論思惟自身の本性に就いての或る一定の見解を想定した上で夫は物を云っているには違いないのだが、併しまだ敢えて思惟の本性そのものを省察しようとはしなかったのだから、その本性の理解に根本的な不備がないかどうかということを問題にする迄には行けない関係にあったのである。
近世になって初めて之を問題の中心に持って来たのはカントだと云っていい。カントは思惟の本性が他ならぬ認識という機能にあるという観点を念を入れて強調した殆んど最初の人であった。というのは、思惟とは、存在に関する一義的で統一的で客観的で具体的な知識組織を与えるものに他ならぬ、ということに、論理学の問題を集中したのである。彼の先験的論理学による範疇の議論がそれで、この範疇は感性の直観と結合するのでなければ思惟=認識としての機能を果たせないものだというのが彼の認識論の要点であった。
で吾々は今少なくともカントによって論理学=認識論となったという点を注意しなければならぬ。