후리가나로 읽는 일본 고전
ja-reading.com
후리가나가 있는 일본 고전을 온라인으로 읽으세요. JLPT 수준으로 골라 보고, 단어를 눌러 뜻을 확인하고, 문장을 번역하세요.
げんだいてつがくこうわ
現代哲学講話
戸坂 潤
戸坂 潤의 現代哲学講話(げんだいてつがくこうわ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 268,337자 · 522화면
何となればそのような観念的なるものは、たとい之を部分的に見る時一応の自己独立性を有っていようとも、之をあり得べき全体に於て、その意味で究極的に見る時――そして之が弁証法的な見方である――、決定者ではなくして被決定者であったのであり、そしてこの決定の動力に於てこそ、唯物弁証法は成り立つのであったから。繰り返して云おう、存在それ自体が弁証法的ではあり得ない、何となれば存在それ自体なる物自体は元来存在しないから。そうではなくして観念の決定者であるべき存在のみが唯一の存在である。弁証法に於ては之こそが存在であり、従ってこの存在がとりも直さず弁証法的なのである。第一に弁証法的なるものは存在である、観念(論理・方法等々)は之に基いて――即ちそれの反映として――初めて弁証法的であることが出来る。
さてこのような存在は、自然・社会・歴史などであるだろう。問題を自然に限る時、自然弁証法の問題が至極当然な、従って又必然な、問題として現われざるを得ない。
存在は一般に、哲学的な意味に於ける自然――自然科学的な意味での夫ではない――であると云った(この二つの自然概念の区別は、哲学的と物理学的との二つの物質概念の区別に相当する)。