일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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げんだいてつがくこうわ

現代哲学講話

戸坂 潤

戸坂 潤의 現代哲学講話(げんだいてつがくこうわ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 268,337자 · 522화면

아오조라 문고

だが問題は、観念が人間の頭脳を通過するかしないかという均一的な総花的な問題ではなくて、観念が夫々どのような特殊の存在に対応し又は対応しないかである、それとアナロガスに、問題は実践が人格の自由を通過するかしないかという形式的で従って無意味な問題ではなくて、実践が如何なる場合に実践的となり如何なる場合に実践性を失うかという質料的な問題が問題なのである。観念は常に観念である、だが単に観念にすぎない観念は少しも存在を観念するという大事な観念性を持たない、それとアナロガスに、実践は常に実践だが、単なる実践(それが田辺博士による道徳的実践という概念把握法の結果物である)は、それだけではまだ少しも実践的ではなく実践性を有つものではない。

なる程博士は、実践を決して形式的にだの抽象的にだの考えてはいない、却って個別を媒介とした内容的具体性に於て、その実践概念を用いている、と云うだろう。それはそうである。併し、そうした博士の所謂即物性なるものは、実はどこにでも任意にどういう風にでも成り立つことが出来る。国民は即物的には忠良なる臣民と不逞の徒とに、而も忠良さと不逞さとの個別的段階を媒介として、内容的具体性に於て、即物的に、自己実現することが出来る。