후리가나로 읽는 일본 고전
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げんだいゆいぶつろんこうわ
現代唯物論講話
戸坂 潤
戸坂 潤의 現代唯物論講話(げんだいゆいぶつろんこうわ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 251,295자 · 490화면
――処が次に、一般的な又形式的な認識――科学的認識は之を行き着くべき終点とする――を可能にするものは、概念乃至観念である。だが概念乃至観念は常に、実在に就いての概念乃至観念であることを忘れてはならない。認識は実在に就いての認識でなければならないが、もし概念乃至観念を認識の出発点とするならば、そういう認識は、常にそれだけ実在への肉迫力を欠くわけである。否肉迫力を欠くが故に、誤った認識を結果せずにはいないのである。でマルクス主義的方法は、概念乃至観念の収集分析から出発する代りに、実在自身の収集分析から出発する、それはその限り云わば概念主義に対する実在主義と呼ばれて好いだろう。
さて、内容主義であり実在主義である処のマルクス主義的方法は、正に唯物論――質料主義――でなければならない。そこでは材料の充分なる占有がまず第一の問題である。研究は常に実証的でなくてはならない(但しであるからと云って決して実証主義的であってはならない――後を見よ)。
併し、形式主義的であり概念主義的である処の研究方法は、実は形式論理学的方法に他ならない。だからこういう方法が、形式論理学を絶対的な武器としていたスコラ哲学の方法であったことは、極めて当然であった。