후리가나로 읽는 일본 고전
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げんだいてつがくこうわ
現代哲学講話
戸坂 潤
戸坂 潤의 現代哲学講話(げんだいてつがくこうわ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 268,337자 · 522화면
そうすると、結局どういう存在論を有ち又はどういう論理学を採るかは人々又は階級の自由乃至宿命ではないか。哲学の是非は、それがイデオロギーであると考えられる限り、結局決定し得ないことになるではないか。――だがそうではない。世界観は夫が最も洗練されると論理学となる、世界観の是非はだから、論理学に於て最後の審判の法廷に引き出されるものなのである。もし一つの世界観が世界に対する正当な見方でなかったならば、必ずそれはこの世界観に相当する論理学の欠点を証拠として、罰されねばならなく出来ているのである。
世界観の、従って又存在論の、是非は、論理学に於て審判される。では、形式的論理と弁証法的論理と、何れが、存在・世界・の説明に於て優れているか。と云うのは元来、世界観は世界の・即ち又存在の・説明を目的とするのだが、之が洗練されると、取りも直さず論理学となるのであったから。だが之は実は既に決定されていたことである――前を見よ。弁証法的論理は存在の論理であった、それは実践的論理であった。
実際、論理をイデオロギーとしての哲学の結晶核と見ることは、要するに論理をイデオロギーとして規定することであり、従って又論理を下部構造の上に築かれた一つの上部構造として規定することである。