후리가나로 읽는 일본 고전
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げんだいてつがくこうわ
現代哲学講話
戸坂 潤
戸坂 潤의 現代哲学講話(げんだいてつがくこうわ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 268,337자 · 522화면
人々は知っている、行とか愛とかを振り回わす宗教的意識が一般に、事実上如何に非実践的で個人主義的であり得るかを、又結果に於て如何に逃避的で利己的でもあり得るかを。
だが今迄云った一切のことにも拘らず、西田哲学自身にとってはこの哲学は少しも観念論ではないのである。観念論は事物をノエマの側に於て見る場合の一例である。夫は事物をイデアの観念的展開として把握して了う(ヘーゲル)。だがそうかと云って、無論西田哲学は唯物論でもない、唯物論も亦事物をノエマの側に於て見ることしか知らない、その点では観念論と同じである。ただイデアの代りに物質が、ノエマ的有として、事物の根柢に横たえられるに外ならない(マルクス)。とそう云うのである。観念論をも唯物論をも止揚した西田哲学は之に反して事物の根柢をノエシスの側に於て見出そうとする。西田哲学は観念論でも唯物論でもない、夫は高度の現象学であった。だからこそそれが最も洗練された観念論である。
で事物の根柢に横たわる弁証法も亦、ただノエシスの側に於てのみ、自覚に於てのみ、一概に云えば広義の意識に於てのみ、成立するわけになる。――だが弁証法というものの意味が成立する場所と、弁証法そのものが存在する場所とは別だ。