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のぶこ

伸子

宮本 百合子

「改造」1924(大正13)年9月号~1926(大正15)年9月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 232,543 字 · 466 页

青空文庫

すると背後で、扉を敲く音がした。とっさに、佃が来た知らせかと思い、彼女は困却した。十一時頃から彼らは、ハドソン河を彼方に渡って、ながい散歩をしようと約束していた。扉の方に歩きながら、伸子は、

「お入りなさい、――どなた」

と、声をかけた。

「いらしたのね」

扉をあけて現れたのは、高崎であった。

「まあ珍しいこと! どうぞ」

高崎は、研究が家政学であったし、ある亜米利加人の家庭に暮していたりする関係上、平生親しく往来するというあいだでもなかった。

「よく早くお出かけになってね」

「ええ。私このくらい普通ですわ――ついそばを通ったんで、およりして見ましたの」

直子は、伸子のすすめるままに外套の襟を開いて椅子にかけた。

「――外套なんぞ、脱いでおしまいになった方がいいわ」

「ええ、でも――そうもお邪魔していられないから……」

小柄だが、たっぷりした黒い髪や、濃い眉、意志的な大きい口元など印象づよく、美しいところさえある顔で室内を見廻したり、伸子の健康をほめたりして世間話を始めたが、直子の様子には、何だか楽々しないところがあった。何か心の中には、考えてきたことがあって、それを切り出す前置きのためだけに、実際の興味は大してないことを喋っている、そんなところがあった。