轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

ぜんのけんきゅう

善の研究

西田 幾多郎

「善の研究」弘道館、1911(明治44)年2月6日発行

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 123,777 字 · 243 页

青空文庫

しかしその可能とは必ずしも不定的可能の意味でなければならぬことはない。知とは反省の場合にのみいうべきではない、直覚も知である。直覚の方がむしろ真の知である。知が完全となればなる程かえって不定的可能はなくなるのである。かく神には不定的意志即ち随意ということがないのであるから、神の愛というのも神は或人々を愛し、或人々を憎み、或人々を栄えしめ、或人々を亡ぼすという如き偏狭の愛ではない。神は凡ての実在の根柢として、その愛は平等普遍でなければならず、且つその自己発展その者が直に我々に取りて無限の愛でなければならぬ。万物自然の発展の外に特別なる神の愛はないのである。元来愛とは統一を求むるの情である、自己統一の要求が自愛であり、自他統一の要求が他愛である。神の統一作用は直に万物の統一作用であるから、エッカルトのいったように神の他愛は即ちその自愛でなければならぬ。我々が自己の手足を愛するが如くに神は万物を愛するのである。エッカルトはまた神の人を愛するは随意の行動ではなく、かくせねばならぬのであるといっている。

以上論じたように、神は人格的であるというも直にこれを我々の主観的精神と同一に見ることはできぬ、むしろ主客の分離なく物我の差別なき純粋経験の状態に比すべきものである。