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ぜんのけんきゅう

善の研究

西田 幾多郎

「善の研究」弘道館、1911(明治44)年2月6日発行

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 123,777 字 · 243 页

青空文庫

これに反し、愛とは人格的対象の知識である、たとい対象が非人格的であってもこれを人格的として見た時の知識である。両者の差は精神作用その者にあるのではなく、むしろ対象の種類に由るといってよろしい。而して古来幾多の学者哲人のいったように、宇宙実在の本体は人格的の者であるとすると、愛は実在の本体を捕捉する力である。物の最も深き知識である。分析推論の知識は物の表面的知識であって実在その者を捕捉することはできぬ。我々はただ愛に由りてのみこれに達することができる。愛は知の極点である。

以上少しく知と愛との関係を述べた所で、今これを宗教上の事に当てはめて考えて見よう。主観は自力である、客観は他力である。我々が物を知り物を愛すというのは自力をすてて他力の信心に入る謂である。人間一生の仕事が知と愛との外にないものとすれば、我々は日々に他力信心の上に働いているのである。学問も道徳も皆仏陀の光明であり、宗教という者はこの作用の極致である。学問や道徳は個々の差別的現象の上にこの他力の光明に浴するのであるが、宗教は宇宙全体の上において絶対無限の仏陀その者に接するのである。「父よ、もしみこころにかなはばこの杯を我より離したまへ、されど我が意のままをなすにあらず、唯みこころのままになしたまへ」