轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

ぜんのけんきゅう

善の研究

西田 幾多郎

「善の研究」弘道館、1911(明治44)年2月6日発行

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 123,777 字 · 243 页

青空文庫

然らば運動表象の体系と知識表象の体系と如何なる差異があるであろうか。意識発達の始に遡りて見るとかくの如き区別があるのではない、我々の有機体は元来生命保存のために種々の運動をなすように作られている、意識はかくの如き本能的動作に副うて発生するので、知覚的なるよりもむしろ衝動的なるのがその原始的状態である。然るに経験の積むに従い種々の聯想ができるので、遂に知覚中枢を本とするのと運動中枢を本とするのと両種の体系ができるようになる。しかしいかに両体系が分化したといっても、全然別種の者となるのではない、純知識であっても何処かに実践的意味を有っており、純意志であっても何らかの知識に基づいている。具象的精神現象は必ず両方面を具えている、知識と意志とは同一現象をその著しき方面に由りて区別したのにすぎぬのである、つまり知覚は一種の衝動的意志であり、意志は一種の想起である。しかのみならず、記憶表象の純知識的なる者であっても、必ず多少の実践的意味を有っておらぬことはない、これに反し偶然に起るように思われる意志であっても、何かの刺戟に基づいているのである。また意志は多く内より目的を以て進行するというが、知覚であっても予め目的を定めてこれに感官を向ける事もできる、特に思惟の如きは尽く有意的であるといってもよい。