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しんだちどり
死んだ千鳥
吉川 英治
「婦人倶楽部 臨時増刊」大日本雄弁会講談社、1937(昭和12)年3月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,539 字 · 32 页
『……御免』
低い声で、暖簾の間から、侍はそう云ってみたが、小女も老婆も、うとうとと、快げに居眠っているので、黙って、傍らの木戸を自分で開けて、中庭へ忍び足に這入って行った。
× ×
× ×
『……墨江、行燈が消えている。……行燈を灯けたらいいだろう』
伏原半蔵の声である。
四畳半の闇の裡に、ほんの一瞬の時が経つと、伏原の態度は、言葉つきまで、その前とは、まるで打って変っていた。
『…………』
『何をしているのだ、畳を撫でて。……櫛か、櫛ならここに落ちている』
伏原が、投げたのであろう、真っ暗な畳の上に、櫛の音が躍った。
病人のように疲れた白い手が――その櫛を探って、自分のみだれた髪を撫でていた。墨江の息づかいも、黒髪のように乱れていた。ひそやかに身づくろいを直している衣ずれの音が、かなり長い間だった。そして程なく、闇の中に、二人はしいんと黙り合ってしまった。
『……行燈をつけぬか、行燈を。――何ももう、済んでしまった事だ、恥かしがるにも及ぶまいが』
『…………』
『え、墨江』
『……わたくし……わたくしはもう、帰らせていただきます』