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あさくさふどき

浅草風土記

久保田 万太郎

雷門以北「東京日日新聞 夕刊」1927(昭和2)年6月30日~7月16日<br>吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年2月<br>続吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年3月<br>隅田川両岸「中央公論」1935(昭和10)年9月<br>浅草田原町「三田文學」1912(明治45)年2月<br>あやめ団子「花形」1920(大正9)年8月<br>相模屋の路次・浅倉屋の路次「新演藝」1920(大正9)年8月<br>浅草の喰べもの「中央公論 夏期特別號」1920(大正9)年7月<br>夏と町々「時事新報 夕刊」1929(昭和4)年6月1日~30日<br>絵空事「新潮」1932(昭和7)年3月<br>一年「東京新聞」1946(昭和21)年4月15日<br>浅草よ、しずかに眠れ「苦樂」1948(昭和23)年2月<br>夜店ばなし「婦人公論」1931(昭和6)年7月<br>除夜「週刊朝日」1930(昭和5)年12月28日號<br>正月「婦人公論」1932(昭和7)年1月<br>水の匂「文藝春秋」1941(昭和16)年7月<br>町々…… 人々……「別冊文藝春秋」1955(昭和30)年2月~6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,294 字 · 318 页

青空文庫

校長さんはとくべつに稽古にくる生徒たちに、漢文だの算盤だのを教えました。――これを予科と呼んでいました。

夜は、また、夜で、近所の古着屋の小僧だの大工の弟子だのが夜学に来ました。

校長さんという人は、その時分、もう、六十近い、小柄な、垢ぬけのした、血色のいいおじいさんでした。腰が低く、世辞のいいので評判でした。校長さんにくらべると、御新造という人は若すぎるくらい若く、人によるとあれは校長さんの姪だなどという人がありました。しかし、いつも、大きな円髷に結っていました。校長さんと同じに、やっぱり、世辞のいいので評判でしたが、同時に、また、少しなれなれしいという批難もありました。――わたしの母でも、たまたま湯なんぞであうと、それほど懇意でもないのに、さきから叮嚀にあいさつして来るのでこまると、よくいっていました。

高等科を教えていた、四十がらみの、頭の綺麗に禿げた先生がいました。御新造の身寄になる人とか聞きましたが、この人が、また、御新造に上越す愛想のいい人でした。その時分、始終、わたしのうちの店に電話をかけに来たので知っていましたが、朝など、わたしの学校の出がけにぶつかって靴でも穿いているところに来ると『いまお出かけですか、御勉強ですね』