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あさくさふどき

浅草風土記

久保田 万太郎

雷門以北「東京日日新聞 夕刊」1927(昭和2)年6月30日~7月16日<br>吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年2月<br>続吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年3月<br>隅田川両岸「中央公論」1935(昭和10)年9月<br>浅草田原町「三田文學」1912(明治45)年2月<br>あやめ団子「花形」1920(大正9)年8月<br>相模屋の路次・浅倉屋の路次「新演藝」1920(大正9)年8月<br>浅草の喰べもの「中央公論 夏期特別號」1920(大正9)年7月<br>夏と町々「時事新報 夕刊」1929(昭和4)年6月1日~30日<br>絵空事「新潮」1932(昭和7)年3月<br>一年「東京新聞」1946(昭和21)年4月15日<br>浅草よ、しずかに眠れ「苦樂」1948(昭和23)年2月<br>夜店ばなし「婦人公論」1931(昭和6)年7月<br>除夜「週刊朝日」1930(昭和5)年12月28日號<br>正月「婦人公論」1932(昭和7)年1月<br>水の匂「文藝春秋」1941(昭和16)年7月<br>町々…… 人々……「別冊文藝春秋」1955(昭和30)年2月~6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,294 字 · 318 页

青空文庫

六

――その、しずかな夢のような灯影こそ、そのあたりのおもいでを人知れず象徴するものだった。

六

「ただ、わたしは、親に給金を仕送るために女中奉公に出たおたみという女を、その女の不幸な生涯の世の中に向けて、だんだん、展けて行く筋みちを描こうと企てたばかりだった。――が、毎日一回ずつ書いて行くうちに、わたしは仮りにその舞台にとったわたしの生れたうちの来しかたがだんだん可懐しく思い返されて来た。わたしは思い出に浸りながら筆を遣った。――わたしのおたみを守る眼はともすれば、よしない雲霧のためにさまたげられた」と、嘗て「東京日々」に書いた「露芝」という小説を一冊にまとめたとき、そのあとに、わたしは、こうしたことをとくに書いた。

が、独りこれは「露芝」にのみとどまらない。――その以前にあって、わたしは、「ふゆぞら」を書いたとき、「盆まえ」を書いたとき、「さざめ雪」を書いたとき、「暮れがた」を書いたとき、「宵の空」を書いたとき、「ひとりむし」を書いたとき、「雨空」を書いたとき、「四月尽」を書いたとき、おなじく思い出に――生れたうちの寂しい思い出に浸りながら筆を遣った。