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あさくさふどき

浅草風土記

久保田 万太郎

雷門以北「東京日日新聞 夕刊」1927(昭和2)年6月30日~7月16日<br>吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年2月<br>続吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年3月<br>隅田川両岸「中央公論」1935(昭和10)年9月<br>浅草田原町「三田文學」1912(明治45)年2月<br>あやめ団子「花形」1920(大正9)年8月<br>相模屋の路次・浅倉屋の路次「新演藝」1920(大正9)年8月<br>浅草の喰べもの「中央公論 夏期特別號」1920(大正9)年7月<br>夏と町々「時事新報 夕刊」1929(昭和4)年6月1日~30日<br>絵空事「新潮」1932(昭和7)年3月<br>一年「東京新聞」1946(昭和21)年4月15日<br>浅草よ、しずかに眠れ「苦樂」1948(昭和23)年2月<br>夜店ばなし「婦人公論」1931(昭和6)年7月<br>除夜「週刊朝日」1930(昭和5)年12月28日號<br>正月「婦人公論」1932(昭和7)年1月<br>水の匂「文藝春秋」1941(昭和16)年7月<br>町々…… 人々……「別冊文藝春秋」1955(昭和30)年2月~6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,294 字 · 318 页

青空文庫

町々…… 人々……

浅草広小路

一

この小伝遊、その後、金三となったり、三福となったり、円鏡となったり、円遊となったりしたが、五六年まえ高座を退き、いまでは柳橋でたいこもちをしている。あるとき逢って、わたくしは、その話をした。すでに六十を越したかれは……そして、そのうえ半ば失明したかれは、むかしながらのその色の白い顔に、寂しくただ微笑をうかべたばかりだった。望んだがうたってくれなかった。

それにしても、

“泉水に、泳いでいるのは、ありゃ金魚……”

そのあとの文句は何というのだったろう?……おもいだせそうでだせない……

(発表年未詳)

町々…… 人々……

浅草広小路

一

昭和二十八年の年末、ぼくは、つぎのような手紙をうけとった。

“突然、手紙をさし上げます。失礼、お許し下さい。私の名、さだめしお忘れのことと存じますが、昔、田原町においでの時分、先生と私とはよい遊び友だちでございました。そして、お宅で、始終芝居ごッこをいたしました。奥のお座敷で刀をふり上げて遊んだ一人です。そのときの遊び友だちは、砂糖屋の山屋の弥ッちゃんをはじめ、駄汁粉屋の太田屋の何とかいった子、何とかいう菓子屋の何とかいった子等、みなさん、もう、故人におなりのことと思います。