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あさくさふどき
浅草風土記
久保田 万太郎
雷門以北「東京日日新聞 夕刊」1927(昭和2)年6月30日~7月16日<br>吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年2月<br>続吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年3月<br>隅田川両岸「中央公論」1935(昭和10)年9月<br>浅草田原町「三田文學」1912(明治45)年2月<br>あやめ団子「花形」1920(大正9)年8月<br>相模屋の路次・浅倉屋の路次「新演藝」1920(大正9)年8月<br>浅草の喰べもの「中央公論 夏期特別號」1920(大正9)年7月<br>夏と町々「時事新報 夕刊」1929(昭和4)年6月1日~30日<br>絵空事「新潮」1932(昭和7)年3月<br>一年「東京新聞」1946(昭和21)年4月15日<br>浅草よ、しずかに眠れ「苦樂」1948(昭和23)年2月<br>夜店ばなし「婦人公論」1931(昭和6)年7月<br>除夜「週刊朝日」1930(昭和5)年12月28日號<br>正月「婦人公論」1932(昭和7)年1月<br>水の匂「文藝春秋」1941(昭和16)年7月<br>町々…… 人々……「別冊文藝春秋」1955(昭和30)年2月~6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,294 字 · 318 页
二
……だから、このノートも、おそらく、ぼくの場合に於けるその義務を果した一つではあったろう……
二
翌日、ぼくは、東京にでた。そして、新橋から浅草まで、すぐに地下鉄に乗った……のは、外でもない、雷門の、以前、明治製菓の売店のあったところ、果して、いま、どうなっているか、それをはッきりさせたかったからである。……そのノートに、おもいもよらずめぐり逢ってからの十数時間というもの、ぼくは、さァ気になって、気になってたまらなくなった……というものが、この「町々…… 人々……」を書くについて、なまじ去年から今年にかけて、幾度となくあるきまわったそのあたりだけに、自分の注意の太だ粗漫だったことが……なぜ、もッと、完全なメモをとって置かなかったかということが、わけもなく悔まれたのである……
で、かくて、浅草で……雷門で地下鉄を下り、いそいで階段を上り、早速、郵便局のまえに立ったぼくの、逸りにはやった目のキャッチした建物……電車通りをへだてた向い角の建物……嘗て、明治製菓の売店のあったあとにできたその白い建物は、果して……さァ、果して、何ものだったか?……
大和銀行だった。