轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

あさくさふどき

浅草風土記

久保田 万太郎

雷門以北「東京日日新聞 夕刊」1927(昭和2)年6月30日~7月16日<br>吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年2月<br>続吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年3月<br>隅田川両岸「中央公論」1935(昭和10)年9月<br>浅草田原町「三田文學」1912(明治45)年2月<br>あやめ団子「花形」1920(大正9)年8月<br>相模屋の路次・浅倉屋の路次「新演藝」1920(大正9)年8月<br>浅草の喰べもの「中央公論 夏期特別號」1920(大正9)年7月<br>夏と町々「時事新報 夕刊」1929(昭和4)年6月1日~30日<br>絵空事「新潮」1932(昭和7)年3月<br>一年「東京新聞」1946(昭和21)年4月15日<br>浅草よ、しずかに眠れ「苦樂」1948(昭和23)年2月<br>夜店ばなし「婦人公論」1931(昭和6)年7月<br>除夜「週刊朝日」1930(昭和5)年12月28日號<br>正月「婦人公論」1932(昭和7)年1月<br>水の匂「文藝春秋」1941(昭和16)年7月<br>町々…… 人々……「別冊文藝春秋」1955(昭和30)年2月~6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,294 字 · 318 页

青空文庫

葭簀っ張のまえに置かれた人力車も、すべて末枯の、悲しく眼をふせ額をふせた光景でした。――わたしの記憶にもしあやまりがなければ、空は毎日、日の目をみせずどんより曇ってばかりいました。」

そういうそこは寂しい土地だった。「眠ったような」とでもいえれば「生活力を失った」とでもいえるすがたをした所柄だった。そうして、その溝について真っ直にどこまでも行けば、吉原の、前記「検査場の門」のまえにおのずから出られた。

さすがにもうその時分には一めんの田圃もだんだん埋められ、以前のように太郎稲荷(「たけくらべ」の第六章「……鰐口ならして手を合せ、願ひは何ぞ行きも帰りも首うなだれて」畦道づたいに美登利の帰ってくる中田圃の稲荷とはこれである)の森もみ通しにはみえず、道の両側に拡った水田の影もすでにみられなくはなったものの、すすんでその「検査場の門」のまえくらいまで行けば、田圃の名残の、枯れ枯れになった蓮池が夕ぞらのいろをしずめているといった風の光景を寂しくなおそこにみ出すことが出来た。

「夕飯をたべると、わたしは包みをかかえて宮戸座の近くまで『夜学』にかよいました。包みの中にはナショナル読本と論語とが入っていました。