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たきぐち
滝口
山本 周五郎
「小説新潮」新潮社、1963(昭和38)年11月〜1964(昭和39)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 49,815 字 · 99 页
十
「あなたはおりうと袖ヶ崎へゆく約束をした」と芳村が冷たい声で云った、「しかも泊りがけでね――だがそうはさせない」
「だから騙し討ちにするのか」
「いまの私には、侍の作法や面目などは縁がないんだ」と云って芳村は笑った、「――もっと卑劣な闇討ちだってできたんだぜ」
益村安宅は仄かな雪明りで、芳村の身構えを見、彼が尋常の腕でないのを感じて、ぞっとそうけ立った。
十
ずっとあとになってからも、そのときの背筋からそうけだった気持は、思いだすたびにそのときそのままの感じで、益村安宅の感覚を戦慄させたものであった。
安宅は自分の激しい呼吸の音を聞いた。だが芳村伊織の呼吸は聞えなかった。こいつは冷静だ、と安宅は直感した。氷のように冷静であり、おまけに馴れている。こんなことはこれが初めてではないだろう、腕がたつうえに幾たびも経験している、とうていおれのかなう相手ではない。――ほんの一瞬間のことではあるが、安宅はこれらのことを紛れなしに感じとった。
「おれの負けだ」と安宅はふところ紙を出して刀にぬぐいをかけ、鞘におさめながら云った、「――勝負はわかってる、へたに手向いしてもむだだろう、好きなようにするがいい」