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げんだいゆいぶつろんこうわ

現代唯物論講話

戸坂 潤

「現代唯物論講話」白揚社、1936(昭和11)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 251,295 字 · 490 页

青空文庫

として特色づける)、要するにそれは純論理的論理・論理の論理・でしかなく、Sein もそういう「論理」の出発としてしか取り出されることが出来ない。と云うのは他でもない、Sein が優越的には判断のコプラとしてしか取り出され得なかったのである。そういう論理的判断のコプラ「ある」が、客観的に・存在上・どういう意味を持つかは、即ちどういう風にあるということを云い表わす、のかは、そこでは問題になれない。ここで問題になれるのは高々、何であるか又は何があるかであって(そして之が不足だということから無に移行する)、どうあることが抑々「ある」ということか、ではない。――ヘーゲルに於ける「ある」は、まだ必ずしも精神やイデーではないだろうが、無論又決して物質でもない。――「ある」・存在・は存在者から区別されねばならなかった、だが、存在者から独立に切り離されて了って考えられた存在は、全く観念上の――純論理学的――規定のことであって、それが存在者の規定としての「存在」・「ある」・だという保証さえどこにもない。

ギリシア人は、ヘーゲルよりもより少なく論理学者であり、より多く存在論者(様々な意味で形而上学者と云っても好い)であった。