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げんだいゆいぶつろんこうわ

現代唯物論講話

戸坂 潤

「現代唯物論講話」白揚社、1936(昭和11)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 251,295 字 · 490 页

青空文庫

2 論理の社会階級性

解釈の哲学と雖も、或いは十全なる推論と十全な媒介とを僣することが出来るかも知れない。だが実際的な哲学でない限り、存在の実践的な変革の哲学でない限り、唯物論でない限り、実験と検証とによる実地の実証を装うことは出来ない。西田哲学をも田辺哲学をも、高橋哲学をも、又ハイデッガー其の他の哲学をも一束にして、唯物論と峻別するものは他ならぬこの点だ。――単に実践的であるかないか、道徳的・行動的・であるかないか、の区別ではない。その実践なるものが認識理論上十全な価値を認められているかどうかが、岐れ目である。種の論理は無の論理や全体的絶対静止の論理に較べて、どの程度に本質的に、認識の実験的・検証的・な中核を射貫いているか、私には非常に疑問なのである。

2 論理の社会階級性

一

凡ゆる哲学者・心理学者・論理学者・の異論に拘わることなく、吾々は、論理をば、意識をして意識たらしめる処の精髄だと考える。尤もこう云っても、意識が成り立つためには、何か意識の統一を与えるアプリオリが論理的条件としなければならない、などということを主張するのではない。そういうカント風の命題と今はさし当り何の関係もない。