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げんだいゆいぶつろんこうわ
現代唯物論講話
戸坂 潤
「現代唯物論講話」白揚社、1936(昭和11)年12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 251,295 字 · 490 页
――併し実験を単に専ら操作の過程としてばかり見るのでなく、その操作が有つ認識論上の機能から見るなら、社会科学が凡て実験的だというこの考えそのものは、強ち無意味でも不可能でもない。夫はすでに云ったことだ。多分困るのは、実験的というこの言葉に他ならないのだろう。
実験的とここで呼んだのは要するに単に実証的ということだったのだ。それならばわざわざ実験的などと呼ばずに実証的と呼べばいいではないかと私は云われるかも知れない。だが、実験的という言葉が適切でないとしても、そうかといって実証的という言葉だけでは不足な理由があるのである。と云うのは、実証的という言葉が往々いって実証主義の余弊を身に纏っているからと云うばかりではなく、この言葉だけでは、実験が云い表わすようなあの実践性が一向出ていないことを注意せねばならぬのだ。そこで敢えて仮に、社会科学に於ても実験的という特色づけを先ず与えて見ようとしたわけである。然しこの際実験的という言葉がどうも穏当でないというなら、私は技術的という言葉で以って置きかえるのがよいと考える。社会科学は凡て技術的だ、と云うのである。どういう意味かと云えば、社会科学の対象である歴史的社会は、之を科学的に分析する限り、物質的な生産機構に基くことが発見されるのだが、処がこの物質的生産が技術(生産技術