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げんだいゆいぶつろんこうわ

現代唯物論講話

戸坂 潤

「現代唯物論講話」白揚社、1936(昭和11)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 251,295 字 · 490 页

青空文庫

今もしここに中心を置くことを忘れるなら、どのような精巧な技術論も恐らく根のないフラーゼオロギーに終るだろう。

処で、殆んど凡てのブルジョア的技術哲学は、技術のこの物質的生産性を中心に置くことに注意せず、従って之とその他との、区別と連関とを具体的に把握することを知らない。従来の技術哲学を大成したものとしては、Friedrich Dessauer, Philosophie der Technik を挙げていいと思うが、之によると技術は物質的生産技術と其の他の技術との区別や連関からは抽象されて、単に技術一般として、技術的世界の名の下に捉えられているに過ぎない。カントが自然界と道徳界・審美の世界又は目的論の世界・とを区別したのに対して、デッサウアーは第四の王国としては技術の世界を発見する。ここで初めて、必然の世界と目的の世界とが、結合するというのである。

「哲学者」であるよりも寧ろ「文明批評家」であるO・シュペングラーなどは、デッサウアーに較べればもう少し「非哲学的」であり、従って彼の場合にはとにかく生産技術を中心として技術が捉えられている。が、この生産技術の社会科学的・哲学的・な意義を積極的に摘出することを知らない結果、技術の文明史上の価値は、単に不可避の悪(necessary evil)以上のものには出ない。