轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
げんだいゆいぶつろんこうわ
現代唯物論講話
戸坂 潤
「現代唯物論講話」白揚社、1936(昭和11)年12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 251,295 字 · 490 页
こういう無理な、或いは無意味な、問題が問題になるのは、技術の本質が物質的生産技術になければならぬという、先に云っておいた一つの単純な事実を忘れたからなので、これを忘れては「技術と経済」の連関という問題を提出した動機そのものが、消滅して了う他ないだろう。
吾々が特にこの種のブルジョア哲学式技術論を問題にするのは、吾々の手近かにそのような技術論者の典型が多数存在しているからで、併しそうでなくても、経済学や工学の専門家で哲学(ブルジョア哲学)を愛好する人々の、この類型は珍しくはないと信じるからである。
ブルジョア哲学内部の、又は外部からブルジョア技術哲学を援用する処の、技術哲学乃至技術論は要するに、わざわざ技術を一般化し形式化すことによって、技術を物質的生産技術から抽象し、そうやって技術を生産関係、経済組織・から引き離す。それが技術の「本質」となり技術の「哲学」となるのである。
こういう問題の立て方で行けば、技術はいつも単純に一般的なもので、社会の階級的構造などからは全く独立した理想郷となるだろう。そういう理想郷は現にアメリカのテクノクラシーと名づけられる子供だましの宣伝物の内容に最も顕著に現われているので、その内容自身は仮に一顧の価値もないとしても、テクノクラシーそのものの発生という社会現象には、重大な意義