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げんだいゆいぶつろんこうわ

現代唯物論講話

戸坂 潤

「現代唯物論講話」白揚社、1936(昭和11)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 251,295 字 · 490 页

青空文庫

つまり西田哲学の無の論理によると、我と汝という個人(個)同志が不連続というディアレクティークによって人倫関係を造っていると考えられるのであるが、処がこの我も汝もいきなり何等の媒介者なしに無の場所から浮き出て来ているもので、無以外に我と汝とを媒介するものは見当らないのだ。して見ると我と汝はいつまでも単に我と汝とであって、それが社会という存在の姿を示す型にも、夫をほごす鍵にもなるものではない。之では実際の歴史も実際の社会も理解出来ない、というのが田辺博士の着眼点だったのである。

そこで博士は考える。我と汝という個人をば媒介する或るものを持って来なければならぬ。処で夫は恰も民族なのだ。民族によって初めて夫々の個人が活き、又その相互関係も活きる。処がこの民族を論理的に個と類とに対比させれば正に種である。そして国家が類に相当すると云うのである。処が無の論理は実は個の論理であった。従ってその他に今や種の論理を考えなければならぬ。そしてこの両者が類の論理に総合されるのでなければならぬ。こうして一方に於て田辺博士の哲学的社会学のプランが成り立ったと共に、同時に社会存在の論理学が試みられることになった。