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げんだいゆいぶつろんこうわ

現代唯物論講話

戸坂 潤

「現代唯物論講話」白揚社、1936(昭和11)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 251,295 字 · 490 页

青空文庫

「無の場所の論理は論理にして論理ではない。それは絶対媒介の立場ではなくして、場所の直接態に立つからである」とも批評している。無の論理はその限り、論理を断念して宗教的神秘主義に赴く宗教的哲学の道だと云うのである。――吾々は田辺博士が西田哲学に加えた批評に就いて、今云った限り、無条件に之を支持するものだ。

併し西田哲学の批判が今の私の問題ではないから、詳しいことは省こう。必要なのは田辺博士が之に加えた批判の一つ一つの内容よりも、寧ろその加え方である。なぜならやがて之は博士によって一切の哲学に加えられる批判の仕方に関係するからだ。すると之は他人ごとではないからである。

田辺博士によると論理の本質は推論に存する。之は恐らく論理学の歴史が、と云うのは主に観念論的な論理学の歴史なのだが、証明していることと見做さねばなるまい。推論の本質がそして媒介の機能にあることは云うまでもない。だから論理の本質は専ら媒介に存するということになるわけだ。西田哲学はみずから述語の論理と称して、従来の一切の論理学を主語の論理と見做すのであるが、こうした述語の論理は判断に於ける包摂関係に立脚しているのであって、この包摂関係なるものは全く直接的な連関のことで、元来媒介を容れることの出来ないものだ。