轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
げんだいゆいぶつろんこうわ
現代唯物論講話
戸坂 潤
「現代唯物論講話」白揚社、1936(昭和11)年12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 251,295 字 · 490 页
如何に外界の否定的対立を肯定的に媒介するにしても、世界図式は依然として一つの図式であり、物そのものにぞくするものではなくて主体(やがて主観や自覚の主となる)にぞくするものだ。して見るとこの際の絶対媒介なるものは外界を否定即肯定する道徳的実践行為の主体にぞくするものに他ならない。では自然は初めから主体と媒介されたものか、それとも主体の媒介以前に自然はあったか。そうしたクロノロジーを吾々は問題にする権利を有つと思う。
こんな風に云うと、夫は自然科学の成果をば、より根本的な媒介者としての論理の世界に混入するものだ、と云って非難されるだろう。確かにそうなのである。論理的なプロセスを考察するにも、吾々は常に現実の時間的歴史的プロセス(之を自然科学は仮定している)を条件としなければならないのだから、自然科学的認識は論理と混淆し、それこそ媒介されているのだ。自然科学の成果は反哲学的なものとして、哲学は之をそのまま否定的に肯定する、というような媒介を吾々は信用しないのである。なぜならそういうやり方では吾々は実際的に天下の一物をも責任を以て左右出来ないからだ。――田辺博士は直接な所与としての自然というものを、論理上の神秘物と見て之を認容しようとしない。