轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

げんだいゆいぶつろんこうわ

現代唯物論講話

戸坂 潤

「現代唯物論講話」白揚社、1936(昭和11)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 251,295 字 · 490 页

青空文庫

単なる客観には弁証法はないということになるのである。哲学的抽象物としての所謂「客観」なるものには、なる程弁証法の根柢は見出せないだろう。実は「主観」に就いてもこの点は同様でなければならない。だがそれは、実は「客観」がまだ主観的であって決して客観的になり切っていないからで、本当に客観的な存在者は、それが真正の客観性を有つが故に初めて弁証法的であるのである。

物質という哲学的範疇は以上のように分析されるが、之からもう一つの大事な性質を惹き出しておかなくてはならぬ。――今迄は物質が「存在」「存在者」であることの分析であって、要するに物質の存在性に就いて述べて来たのであったが、之と必然的に連関して出て来るのは、物質の認識可能性という問題である。

一体物質――それは唯物論的にしか理解されない概念だ――の認識は、普通模写説と呼ばれる考え方によって説明される他に道を有たない。なぜなら物質は結局かの唯物論的な(観念論的なではない)客観性をその本質とする筈であったが、認識がこの――真正な――客観性によって説明される限り、一般に模写説と呼ばれていいからである。

尤も模写という概念自身が観念論によっては少しも理解されていないので、従って模写説の理解と批判とは、観念論によっては全く出鱈目なあり合わせのものに過ぎないが、それを反駁