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げんだいゆいぶつろんこうわ
現代唯物論講話
戸坂 潤
「現代唯物論講話」白揚社、1936(昭和11)年12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 251,295 字 · 490 页
惰性的頭脳の所有者である世間の俗物の耳にはそして、唯物論は、幼稚にも、金銭崇拝や物欲礼讃の声であるかのようにもひびくようである。俗物は自己の弱点に触れるものをやっきになって否定するのを常とするものである。かくて唯物論は高貴な哲学には相応わしからぬ理論だと考えられる。折角哲学を研究する者が、唯物論を採用するなどは、嘆わしい遺憾なことだと、多くの俗物は考える。併し観念論哲学愛好者や精神家自任者の希望にも拘らず、唯物論はギリシア哲学の発祥以来、未だかつて絶えたことのない、二つの思想の流れの一つである。そして他の一つに較べてより古典的な哲学だったとさえ云わねばならないのである。
唯物論は観念論(唯心論・理想主義)に較べて、より古典的な――より古く又より典型的な――哲学であった。処がそれが、近くカントから初めてヘーゲルに至るドイツ観念論によって、又は十九―二十世紀の新カント派運動によって、又更に極く最近の所謂「近代物理学」の成果によってさえ、哲学に於ても科学に於ても、観念論にまで克服された、と云うのは本当であるか。だが本当はそうではない、そうではない証拠にこそ、恰もマルクス主義――それが最高形式の唯物論である――が存在しているのである。