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かがりびのおんな
篝火の女
吉川 英治
「キング」大日本雄辯會講談社、1935(昭和10)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 27,727 字 · 56 页
朱い横笛
朱い横笛
箱根山脈の駒や足高や乙女には、まだ雪の襞が白く走っていた。そこから研ぎ颪されて来る風は春とも思えない針の冷たさを含んでいる。然し、伊豆の海の暖潮を抱いている山陰や、侍小路の土塀のうえには、柑橘の実が真っ黄いろに熟れていて、やはりここは赤城や榛名の吹きおろしに曝されている上州平野よりは、遙かに気候にめぐまれているなと、石田大七は何事につけてもすぐ自分の国土と比較して考えずにいられないのであった。
畑をみれば、まだ、上州あたりでは冬草も除れてないのに、この相州では、麦が三寸も伸びている。土民の家をのぞいても豊らしく見えるし、往来人の風采をながめても文化の差がわかる程、ここは、上州よりもずっと都会色が濃いのであった。
『さすがに、北条早雲以来三代を経た関東一の覇府だ――』
石田大七は、感心したが、すぐその後から、
『――然し、兵にかけては、北条が強いのではなく、ただ、この天産と地の理が強いだけなのだ』
と、肚のそこで、見くびってしまう。
酒匂川を越えると、並木の風にも、北条氏三代のきびしい秩序が、颯々と、威厳をもって、旅人を襲ってくる。
この小田原の城下は今や、八州はおろか、海道随一の大都会だった。