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にんげんひょう

人間豹

江戸川 乱歩

「講談倶楽部」大日本雄辯會講談社、1934(昭和9)年1~2月、5月~1935(昭和10)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 155,989 字 · 311 页

青空文庫

江川蘭子

江川蘭子

神谷芳雄が、かつてなにびとも経験しなかったような、奇怪残虐な恋人の最期を、マザマザと見せつけられた、あの呪うべき日から、一年あまりが過ぎ去った。

その当座は、あまりにも烈しかった衝撃にうちのめされて、生れつきの明るく快活な性格が、まったく一変したかと思われた。昼は幻に、夜は夢に、恋人弘子の断末魔の形相が、あの人間だか野獣だかわからぬ怪物の顔と重なり合って、ありとあらゆる地獄の構図をもって、彼をおびやかしつづけた。もしやあの獣人父子が、ねぐらを奪われた恨みに燃えて、復讐の爪を研いでいるのではないかと、彼は絶えず生命の危険をさえ感じなければならなかった。

だが、時の力は恐ろしい。月日の流れは、いかなる悲しみも、恐れも、憤りも、いつとなく洗い薄めて行くものだ。

その後、人間豹の親子は、警察のあらゆる捜索にもかかわらず、まったく消息を断ってしまった。外国へ逃亡したのではないかというものもあった。もう彼らの復讐を恐れるには及ばないように思われた。

神谷の脳裡から、一日一日と、野獣の記憶が薄らいで行った。いや、薄らいだのはそればかりではない。あれほど熱愛した恋人弘子の俤さえも、その恋人を失った心の痛手さえも、今はおぼろに消えて行った。