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のぶこ

伸子

宮本 百合子

「改造」1924(大正13)年9月号~1926(大正15)年9月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 232,543 字 · 466 页

青空文庫

俥に乗りかけていると、あわただしく、廊下を女中が駈けて来た。

「ああ、一寸! お電話でございます」

「どなた?」

「柚木さんとおっしゃいました」

伸子は急いで電話口へ戻った。柚木さんと云うのは、伸子の師とも云うべき、老博士に違いなかった。彼女は、動坂へ来るつい前日、長い手紙を出した。彼女は、昨日今日生理的に持ち堪えきれず、譫言に出そうになった内心の苦しさ、自由な生活への憧れを、その手紙へ吐露したのであった。

先方は夫人であった。

「もしもし、伸子さんでいらっしゃいますか、あのう、宅の代理でございますが、お手紙は確かに拝見致したそうでございます」

伸子は夫人に対し、ある極りわるさを感じた。彼女は無器用に礼を述べた。

「それでね、早速御返事申上げるところでしたが、丁度興津へ参っておりましたもんで、失礼致しました。――あなた、明日やはりそちらにおいでですか」

「はあ、当分こちらにおりますが」

もし伸子が在宅なら、面談したいから、柚木先生自身、伸子のところに来て下さろうと云う言伝であった。伸子は恐縮した気持になった。彼女は、今は足の工合が悪くて駄目だが、早晩、自分で上ろうと思っている旨を云って辞した。