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のぶこ
伸子
宮本 百合子
「改造」1924(大正13)年9月号~1926(大正15)年9月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 232,543 字 · 466 页
伸子は性来、旅行ずきであった。結婚する前は、おとよさんと、範囲は狭いが、よく出かけた。温泉も一つ二つは知っていた。佃と生活するようになってからは、彼の職業の関係と気質から、三日四日の小旅行もしなかった。夏、佃の生家へ行ったぎりであった。そんなのは、大勢の家族のうちにはいり、違った周囲で、東京にいると同じ生活の反復にすぎなかった。
本当に温泉へ行くと云うなら、それは伸子にとって、初めての旅行らしい旅行なのであった。宿屋に二人ぎりで暮すこと、それも彼女の空想を輝かせた。父の云いぐさではないが、山々や、温泉の空気や、晴れやかな朝の目覚めが活溌にする細胞の作用で、二人の苦情が、ちょっと喧嘩すれば綺麗に忘られるような奇蹟でも起ったら、何と素晴らしいことだろう。どんなに仕合せなことであろう! 佃も同じ考えなのだろうと、伸子は駭きと悦びとをもって推定した。彼女は心を打ち開いた調子で、アイスクリームをたべている夫に云った。
「――本当なの? そのお話」
「行きますか?」
「ええ、行ってよ!」
「じゃあ、早速電報で問い合せて見ましょう」
佃は、事務的な口調でききかえした。