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ぜんのけんきゅう
善の研究
西田 幾多郎
「善の研究」弘道館、1911(明治44)年2月6日発行
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 123,777 字 · 243 页
第七章 倫理学の諸説
道徳は人性自然の上に根拠をもった者で、何故に善をなさねばならぬかということは人性の内より説明されねばならぬ。
第七章 倫理学の諸説 その三
他律的倫理学では、上にいったように、どうしても何故に我々は善を為さねばならぬかを説明することができぬ。善は全く無意義の者となるのである。そこで我々は道徳の本を人性の中に求めねばならぬようになってくる。善は如何なる者であるか、何故に善を為さねばならぬかの問題を、人性より説明せねばならぬようになってくる。かくの如き倫理学を自律的倫理学という。これには三種あって、一つは理性を本とする者で合理説または主知説といい、一つは苦楽の感情を本とする者で快楽説といい、また一つは意志の活動を本とする者で活動説という。今先ず合理説より話そう。
合理的若しくは主知的倫理学 dianoetic ethics というのは、道徳上の善悪正邪ということと知識上の真偽ということとを同一視している。物の真相が即ち善である、物の真相を知れば自ら何を為さねばならぬかが明となる、我々の義務は幾何学的真理の如く演繹しうる者であると考えている。それで我々は何故に善を為さねばならぬかといえば、真理なるが故であるというのである。