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しっちょうき

失蝶記

山本 周五郎

「別冊文藝春秋」文藝春秋新社、1959(昭和34)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,072 字 · 44 页

青空文庫

「谷川だ」と一人が云った、「押えたぞ」

そして二人はとびだしていった。

この家の表に、三十坪ばかりの狭い空地がある。片側は低い赭土の崖、片側は藪で、長いこと人が住んでいなかったのだろう、夏草の茂った中に、踏みつけ道が一と筋、赭土の崖のほうから空地へ通じている。谷川主計はその空地の中央で、かれらに取巻かれていた。

――まったく思いがけなかったらしい、主計は左の手を腰にやり、刀のないことに気づいて、かれらを見まわしながら右手をあげた。

「待て」と主計は云った、「おれはまる腰だ、そうでなくともこれだけの人数ではれることはできない、みれんなまねはしないからおれの云うことを聞いてくれ」

「そんな必要はない」と梓と呼ばれた侍が叫んだ、「理非は明白だ、やれ」

「梓久也」と主計は手を伸ばして、まっすぐに相手を指さした、「いまおまえはなにか云った、おれの耳は聞えないが、なにを云ったかは察しがつく、おれに口をきかせるな、このまま斬れと云ったろう、そうだろう梓」

「こいつにものを云わせるつもりか」と梓が叫んで刀を抜いた、「おれはやるぞ」

主計は両手をひろげて、かれらの中の一人に呼びかけた。