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きょうふおう

恐怖王

江戸川 乱歩

「講談倶楽部」大日本雄弁会講談社、1931(昭和6)年6月~7月、9月~10月、1932(昭和7)年1月~5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 66,038 字 · 133 页

青空文庫

暫く誰も物を云わなかった。さしずめ何をすべきか、見当もつかないのだ。

深い沈黙の中に、伯爵夫人の啜り泣きの声ばかりが、切れ切れに続いていた。

「それはそうと、奥さん、金庫の中は異状ありませんか。何か紛失したものはありませんか」

蘭堂がふと気を変えて尋ねた。

「マア、あたし、まだ検べても見なかったのですが……」

夫人は力なく立上って、金庫の前に行った。

見ると、金庫の中の桐の観音開きは、ゴリラが身を隠す為に破壊され、内部の棚は滅茶滅茶にこわされて、夥しい書類が、箱の底に押しつけられていた。

観音開きの下部の抽斗を開いて見ると、一つ丈け、空っぽになっていることが分った。イヤ、全く空っぽではなくて、債券の束の代りに、一枚の紙片が残されていた。

「アラッ、債券がなくなっています。マア、どうしたらいいのでしょう。そして、こんなものが……」

蘭堂はその妙な紙片を夫人から受取りながら尋ねて見た。

「して、金額は? 余程沢山ですか」

「エエ、十万円。額面で十万円なんです。それが帰らなかったら、私共はすっかり貧乏になってしまいますわ」

気の毒な夫人は気違いの様な眼つきをして、オロオロと云った。