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しんしょたいこうき
新書太閤記
吉川 英治
09 第九分冊
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 187,757 字 · 375 页
と、ようやく、敵の気勢のただならぬ一変と、自陣の危地に気づいたものであった。
これが当朝の、卯の下刻過ぎ(午前七時半頃)であった。
「飯浦、堀切の谷あいを、西へ攀じ越え、総勢、峰づたいに、足海、権現坂方面まで“繰引”せよ」
あわただしい退き貝に急かれて、勝政の麾下は、それぞれの旗幟と組頭の行くを目あてに、堀切の崖を、道も選ばず攀じ登り出した。灌木帯の浅みどりも、岩間をつづる山つつじも、一瞬、嵐のように揺れ騒いだ。
堀切とよばれる名にも想像されるように、ここの谷あいは、谷というよりは、樹木の生い茂った断層といったほうが適切なくらい狭いのである。西の高地と、東の高地との、ふたつの嶺の空間は、さしわたし僅か十数間しかない。数百年も経たかと思われる山桜の巨木は、残んの花と、若葉を見せ、西の崖から東の絶壁へ届くかと思われるばかり、その巨きな枝を伸ばしてもいる。
降りはよいが、登りとなると、馬は容易に進まない。辷り落ちる馬の下になって、共に転げてゆく兵もある。
荷駄隊は、困難を極めた。――がようやく、先手は登りきり、馬印と中軍旗などが、そこの八分頃まで押し上っていた時である。