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しんしょたいこうき

新書太閤記

吉川 英治

09 第九分冊

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 187,757 字 · 375 页

青空文庫

下坐の民

物にして心。心にして物。それがこの国のふしぎな伝承であった。

だから、物と心が別離されたり、逆作用を起すような仕方は、武門も百姓も、戒めていたところである。秀吉の母も、それを間違えまいとしていたに過ぎない。

下坐の民

「御城主がお還りなされる」

「筑前守様の御帰国というぞ」

「お着きは夜半頃になろうとある」

不時の篝と、城中の者から、これは忽ち城下にも知れ、口々に伝えられて、どよめき渡るものがあった。

元日の夕方は、毎年、町屋は早く大戸を卸し、いずこの家も、大晦日のつかれを見せて、宵にはもう真っ暗に寝しずまるのが例だった。――が、天正十一年の姫路城下は、その例をやぶって、宵から万戸、戸をひらいて、道を掃き、かがりを焚き、或いは金屏に花を添え、軒に香を焚いて気を浄めなどする者もあって、見廻りにあるいた騎馬の城士が、

「それには及ばん」

と、制しても、また、

「御到着は、夜半か、或いは、それより遅くおなり遊ばすやもしれぬゆえ、お迎えには及ばぬぞ。わけて寒天凍地、城下の者に風邪ひかすなと、御母堂様のおことばでもある。――みな戸をとざして、眠るがよい」

と諭して廻っても、眠るどころか戸をたてて引っこむ者もないのである。