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あさくさふどき
浅草風土記
久保田 万太郎
雷門以北「東京日日新聞 夕刊」1927(昭和2)年6月30日~7月16日<br>吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年2月<br>続吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年3月<br>隅田川両岸「中央公論」1935(昭和10)年9月<br>浅草田原町「三田文學」1912(明治45)年2月<br>あやめ団子「花形」1920(大正9)年8月<br>相模屋の路次・浅倉屋の路次「新演藝」1920(大正9)年8月<br>浅草の喰べもの「中央公論 夏期特別號」1920(大正9)年7月<br>夏と町々「時事新報 夕刊」1929(昭和4)年6月1日~30日<br>絵空事「新潮」1932(昭和7)年3月<br>一年「東京新聞」1946(昭和21)年4月15日<br>浅草よ、しずかに眠れ「苦樂」1948(昭和23)年2月<br>夜店ばなし「婦人公論」1931(昭和6)年7月<br>除夜「週刊朝日」1930(昭和5)年12月28日號<br>正月「婦人公論」1932(昭和7)年1月<br>水の匂「文藝春秋」1941(昭和16)年7月<br>町々…… 人々……「別冊文藝春秋」1955(昭和30)年2月~6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,294 字 · 318 页
三
に書いた。
明治四十五年の一月というと、わたしのまだ慶應義塾にいた時分。――「朝顔」という小説を、その半年前に、はじめて世の中へ出したあと、一つ二つの小説と戯曲を同じく「三田文学」と「スバル」に書いた――とはいわない、書かせてもらった時分で、在りようは、この文章、そのころの作家のだれでもが試みた「幼き日」の回想の人真似をしたと云えば足りる。
三
が、「幼き日」の回想といっても、これによって、わたしは、ありがたちの、正直な、おもいでの物語を書こうとはしなかった。――むしろ、生れた土地を語るための、それに都合のいい空想をいろいろ組合せたといったほうがいい。――いまにしてその十一年まえの心もちに溯ることは出来ないが、おそらくは、この、二倍、三倍ぐらいの長さのものを、わたしは、「浅草田原町」という名目の下に書きつごうとしたに違いない。――同時に、わたしの疎懶が、そのわたしの意図を裏切ったのに違いない。
ありがたちの、正直な、おもいでの物語でないしるしには、この文章、わたしというものがはっきり出ていない。わたしというものを、あたまで、よそにしている。――いうならば、これを読んでも、肝心の、わたしというものが田原町のどこに住んでいたのかさえ分らない。