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あさくさふどき
浅草風土記
久保田 万太郎
雷門以北「東京日日新聞 夕刊」1927(昭和2)年6月30日~7月16日<br>吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年2月<br>続吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年3月<br>隅田川両岸「中央公論」1935(昭和10)年9月<br>浅草田原町「三田文學」1912(明治45)年2月<br>あやめ団子「花形」1920(大正9)年8月<br>相模屋の路次・浅倉屋の路次「新演藝」1920(大正9)年8月<br>浅草の喰べもの「中央公論 夏期特別號」1920(大正9)年7月<br>夏と町々「時事新報 夕刊」1929(昭和4)年6月1日~30日<br>絵空事「新潮」1932(昭和7)年3月<br>一年「東京新聞」1946(昭和21)年4月15日<br>浅草よ、しずかに眠れ「苦樂」1948(昭和23)年2月<br>夜店ばなし「婦人公論」1931(昭和6)年7月<br>除夜「週刊朝日」1930(昭和5)年12月28日號<br>正月「婦人公論」1932(昭和7)年1月<br>水の匂「文藝春秋」1941(昭和16)年7月<br>町々…… 人々……「別冊文藝春秋」1955(昭和30)年2月~6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,294 字 · 318 页
わたしの慶應義塾予科二年のときである。が、それにしてもその株の売買価の三百円は相場でなさすぎると思って、友人伊藤貫一君にこれを質した。伊藤君は、仲見世入ってすぐの角の清水屋書店の主人である。「そんなことはありません、その時分でもその五倍や六倍はしました」と伊藤君はいった。「では、いまは、その十倍位になっていますか」とわたしは聞いた。伊藤君は笑ってこたえなかった。
その代り、伊藤君、いろいろそこについて参考になることを聞かせてくれた。たとえばもとの煉瓦づくりの時分、九尺だった間口が今度の奈良朝づくりになってから平均八尺(というのは中には七尺八寸のところもあるのだそうである)になったことや、各戸その一けん一けん一トこま二タこまという呼び方をしていることや、総々でそれが百四十七こま九十九世帯あることや、震災を助かっていまなお以前の「仲見世」の名残をとどめている仁王門のそばの七けんに「新煉瓦」という名称のついていることや、物日なんぞ人の出さかるときは東側にいて西側の店の見えないことや、等、等、等、――まさかいちいち書き留めるわけにも行かないからぼんやりした顔でわたしはそれらを聞いていた。