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あさくさふどき

浅草風土記

久保田 万太郎

雷門以北「東京日日新聞 夕刊」1927(昭和2)年6月30日~7月16日<br>吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年2月<br>続吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年3月<br>隅田川両岸「中央公論」1935(昭和10)年9月<br>浅草田原町「三田文學」1912(明治45)年2月<br>あやめ団子「花形」1920(大正9)年8月<br>相模屋の路次・浅倉屋の路次「新演藝」1920(大正9)年8月<br>浅草の喰べもの「中央公論 夏期特別號」1920(大正9)年7月<br>夏と町々「時事新報 夕刊」1929(昭和4)年6月1日~30日<br>絵空事「新潮」1932(昭和7)年3月<br>一年「東京新聞」1946(昭和21)年4月15日<br>浅草よ、しずかに眠れ「苦樂」1948(昭和23)年2月<br>夜店ばなし「婦人公論」1931(昭和6)年7月<br>除夜「週刊朝日」1930(昭和5)年12月28日號<br>正月「婦人公論」1932(昭和7)年1月<br>水の匂「文藝春秋」1941(昭和16)年7月<br>町々…… 人々……「別冊文藝春秋」1955(昭和30)年2月~6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,294 字 · 318 页

青空文庫

観音堂附近

一

が、いまわたしが昔ながら(わたしにとってはそうである)の「仲見世」を通って感じることは絵草紙屋のすくなくなったことである。(そのなかで最も大きかった清水屋……伊藤君のその店にしていまでは「中央公論」「改造」を二三百ずつもさばく書店になってしまったのである)豆屋、紅梅焼屋の以前のように目につかなくなったことである。(数のうえでも豆屋は絵草紙屋とともにすくなくなった)「木村屋」を真似た名所焼の店のほうぼうに出来たことである。――そうして「武蔵屋」が衰え「伊勢勘」のさかえたことである……

由来そこは外のほうぼうの霊場がもつようなことさらな「名物」はもっていなかった。「煎豆」があり、「紅梅焼」があり、「雷おこし」があったといっても、それらは直接「観音さま」に関聯する何ものも持たなかった。それはただ「仲見世」あるいは「雷門」附近をえらんで店舗をもつにすぎなかった。――と、たまたまパン屋の「木村屋」あって「名所焼」を売りはじめた。わたしの記憶にもしあやまりがなければ、いまから十五六年まえのことである……

観音堂附近

一

それはただ在来の人形焼……で思い出したが、そのずっと以前、広小路の「ちんや」