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あさくさふどき
浅草風土記
久保田 万太郎
雷門以北「東京日日新聞 夕刊」1927(昭和2)年6月30日~7月16日<br>吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年2月<br>続吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年3月<br>隅田川両岸「中央公論」1935(昭和10)年9月<br>浅草田原町「三田文學」1912(明治45)年2月<br>あやめ団子「花形」1920(大正9)年8月<br>相模屋の路次・浅倉屋の路次「新演藝」1920(大正9)年8月<br>浅草の喰べもの「中央公論 夏期特別號」1920(大正9)年7月<br>夏と町々「時事新報 夕刊」1929(昭和4)年6月1日~30日<br>絵空事「新潮」1932(昭和7)年3月<br>一年「東京新聞」1946(昭和21)年4月15日<br>浅草よ、しずかに眠れ「苦樂」1948(昭和23)年2月<br>夜店ばなし「婦人公論」1931(昭和6)年7月<br>除夜「週刊朝日」1930(昭和5)年12月28日號<br>正月「婦人公論」1932(昭和7)年1月<br>水の匂「文藝春秋」1941(昭和16)年7月<br>町々…… 人々……「別冊文藝春秋」1955(昭和30)年2月~6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,294 字 · 318 页
瓦、七万二千枚
一
瓦、七万二千枚
一
“ねじゃか堂の地内には、黙阿弥も、天保十四年から明治二十年まで住んでいた。安政二年の大地震にもそこで逢った。”と、さきに、「仲見世…… 新仲見世……」のなかにしるしたが、これについて、もッとくわしくいおうなら、黙阿弥は、水野越前守の天保の改革で、公認された江戸の三劇場、中村座、市村座、河原崎座の浅草猿若町に移転することを余儀なくされたにあたり、それに従って、天保十四年、二十八歳のとき、芝金杉から、浅草馬道、浅草寺仲見世通りねじゃか堂地内に引っ越した。そして、明治二十年、七十二歳のとき、本所南二葉町にうつるまで、狂言作者としての四十余年の年月を、そこで送った。“地内の師匠”という通称をえた所以の、その間、安政の大地震に逢ったのは、四十二の厄年のときだった。
“……安政二年十月二日の夜、黙阿弥は近所の寄席の講釈を聞きに行つてゐた。元来謹厳寡黙で用心深かつたことは、著名な彼の性癖であるが、寄席へ行つても必ず出口に近い所、二階ならば降り口の近くにゐるのが習慣であつたといふ。だから、ユラ/\とするなり飛び出した。外へ出るや否やその寄席は一とたまりもなく潰れたといふ。