轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

あさくさふどき

浅草風土記

久保田 万太郎

雷門以北「東京日日新聞 夕刊」1927(昭和2)年6月30日~7月16日<br>吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年2月<br>続吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年3月<br>隅田川両岸「中央公論」1935(昭和10)年9月<br>浅草田原町「三田文學」1912(明治45)年2月<br>あやめ団子「花形」1920(大正9)年8月<br>相模屋の路次・浅倉屋の路次「新演藝」1920(大正9)年8月<br>浅草の喰べもの「中央公論 夏期特別號」1920(大正9)年7月<br>夏と町々「時事新報 夕刊」1929(昭和4)年6月1日~30日<br>絵空事「新潮」1932(昭和7)年3月<br>一年「東京新聞」1946(昭和21)年4月15日<br>浅草よ、しずかに眠れ「苦樂」1948(昭和23)年2月<br>夜店ばなし「婦人公論」1931(昭和6)年7月<br>除夜「週刊朝日」1930(昭和5)年12月28日號<br>正月「婦人公論」1932(昭和7)年1月<br>水の匂「文藝春秋」1941(昭和16)年7月<br>町々…… 人々……「別冊文藝春秋」1955(昭和30)年2月~6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,294 字 · 318 页

青空文庫

と黙阿弥”という書留の中で、右のように語っている。“どうやら少し目鼻がつきかけた”というのは、けだし、河原崎座の立作者、二代目の河竹新七として、市川小団次のために、“忍ぶの惣太”(都鳥廓白浪)を、つづいて“五十三次天日坊”を書下して、成功し、漸くその存在を認められるにいたったことを述懐しての上だったろう。

ところで、“ねじやか堂地内”のその寝釈迦堂である。……一たい、どこにあったのか?

『浅草寺志』(文化十年刊)によると、仁王門から雷門へ出る筋を、嘗て、南谷といい、その南谷の東側には、正智院、寿命院、長寿院、円乗院、正福院、智光院、西側には、梅園院、実相院、松寿院、金蔵院、観智院、日音院等の坊舎が並んでいた。寝釈迦堂は、このうちの、正智院の境内に属していたのだった。……といっても、この正智院の境内は、惣地坪、九百三十三坪七合余というのだから、随分と広かったらしく、釈迦堂の外に、護摩堂があり、地蔵堂があり、木食堂があり、稲荷の社があって、あるいは四間の三間、あるいは二間半四方、あるいは三間の二間、といった工合の大きさを、それぞれのその建物がもっていた。