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あさくさふどき
浅草風土記
久保田 万太郎
雷門以北「東京日日新聞 夕刊」1927(昭和2)年6月30日~7月16日<br>吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年2月<br>続吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年3月<br>隅田川両岸「中央公論」1935(昭和10)年9月<br>浅草田原町「三田文學」1912(明治45)年2月<br>あやめ団子「花形」1920(大正9)年8月<br>相模屋の路次・浅倉屋の路次「新演藝」1920(大正9)年8月<br>浅草の喰べもの「中央公論 夏期特別號」1920(大正9)年7月<br>夏と町々「時事新報 夕刊」1929(昭和4)年6月1日~30日<br>絵空事「新潮」1932(昭和7)年3月<br>一年「東京新聞」1946(昭和21)年4月15日<br>浅草よ、しずかに眠れ「苦樂」1948(昭和23)年2月<br>夜店ばなし「婦人公論」1931(昭和6)年7月<br>除夜「週刊朝日」1930(昭和5)年12月28日號<br>正月「婦人公論」1932(昭和7)年1月<br>水の匂「文藝春秋」1941(昭和16)年7月<br>町々…… 人々……「別冊文藝春秋」1955(昭和30)年2月~6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,294 字 · 318 页
……そっくり、そのまんまだったのである……
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東京の空にB29のはじめて飛んで来たのは、昭和十九年の十一月一日だった。だから、これを書いているときは、まだ作者も、この作のなかにでて来る人物のだれも、空襲がどんなに怖いものかということを知らなかったのである。でもしかし、サイパン東京間一二〇〇余浬、サイパン比島間一五〇〇浬で、基地航空兵力の、ともに手のとどく距離になったということが、だれの胸をでも暗くして、空襲必至のかけ声も、もう、いままでのような空念仏でなくなったときだった。……しかもそのときは、まだ、仁王門もあれば、五重の塔もあり、輪蔵もあったのである。……と、こういい来ったとき、仲見世にとって、仁王門を失ったことが、どんなに致命的であったかが、いまさらのように、はっきり、ぼくにわかった。……東に左輔金剛、西に右弼金剛を安置した、あの山門さえ無事であったら、やみやみそう“新仲見世”に、信仰を無視したヨコバンは切らせなかったであろう……
それにしても、焼け残った荒沢不動の、闇市上り……と、土地の人は、矢っ張、穿ったことをいう……の、伝統をもたない店々の闖入のかげに、虐げられた骸をよこたえているそのすがたよ。