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げんだいゆいぶつろんこうわ

現代唯物論講話

戸坂 潤

「現代唯物論講話」白揚社、1936(昭和11)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 251,295 字 · 490 页

青空文庫

それは明らかなことで、存在者を意識の主体と考えるか、人間的生と考えるか、或いは又自然と考えるか、等々によって、その「ある」という存在の仕方が異って来ざるを得ない。之を抜きにして一般的に――形式的に――「ある」(存在)だけを取り扱うような存在論は、そしてそういう場合の存在は精々例の判断のコプラのようなものを出ないだろうが、実は歴史上未だ嘗て無かったとさえ云って好い。

では何が優れた意味に於て存在者乃至存在物であるか。優れた存在は物質であったが、物質の本質としてさきに挙げておいた限りの弁証法性と現実性とからは併し、何が存在者乃至存在物の代表的なものであるかは充分には決定出来ぬ。――問題は逆で、何が存在者乃至存在物の代表者かということから、物質という存在の残されたもう一つの、併し最も根本的な規定を、知ることにある。

主観と客観との対立は、ギリシア古典にはないので、吾々は今、さきに用いたギリシア古典から、近世哲学の持っている問題の形態にまで、存在問題の歴史の流れを下ることによって、之を具体化す必要に逼られる。――主観と客観との対立が、今日のように、意識・観念(自覚・自我・理性・精神・等々)と存在物・存在者(物質・自然・世界・等々)との対立を意味するようになったのは、全く新しい現象で、それは意識こそが唯一の主体(