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げんだいゆいぶつろんこうわ
現代唯物論講話
戸坂 潤
「現代唯物論講話」白揚社、1936(昭和11)年12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 251,295 字 · 490 页
で、論理の本質が媒介だとすれば、その際の論理なるものは主語的論理でも述語的論理でもなくて、正に繋辞的論理である他はなく、之が論理の本質を概念や判断ではなしに正に推論の内に見出させる所以である、と博士はまず第一に考える。
処で論理の本質が媒介にあるとするなら、論理が何等かの意味で(その意味は大切で後から見よう)十全であるためには、即ち論理が絶対的であるためには、媒介も亦絶対でなければなるまい、絶対媒介であることが必要な筈だ。論理の本質はかくて絶対媒介に存する。と云うのはこの論理にとっては一切のものが媒介されてなくてはならぬ。無媒介な直接態に於けるもの(例えば直観とか所与とか)も、夫がこの論理という媒介機能の一モメントとなることによって媒介されたものでなければならぬと共に、又論理を媒介態に致すべく媒介するものでなければならぬ。そういう意味に於て媒介されないものは何物と雖も許さないというのが、この絶対媒介の主な意味なのである。媒介がどこかで止みそこに媒介の反対物が媒介を否定すべく対立しているとしても、媒介自身のそうした否定そのものをも媒介とすることによって却って初めて自分が成り立つような、そしてそうすることによって自分自身の否定物をも却って自分の内に一モメントとして媒介するような、そういう条件にある処の飽くこと