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げんだいゆいぶつろんこうわ

現代唯物論講話

戸坂 潤

「現代唯物論講話」白揚社、1936(昭和11)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 251,295 字 · 490 页

青空文庫

種を考えないと個がいきなり一般へ直接して了って、種は固より類さえも、又個の真の面目さえも、見出せなくなるわけだ。つまり種は個と類との媒介者、媒酌人なのである。

処でこの論理学的なカテゴリーとしての種が、何故生物学乃至社会学的な種でなければならないか、と云うのはなぜ種は特に民族であり血液共同体であり又トーテム其の他であるのか。それは論理学としては説明出来ないことだ。寧ろ民族的国家理論によって社会存在の哲学を考察するためには、偶々こうした種の論理を造り出すことが必要であったに他ならない。だから仮に種の論理というオルガノンが、正しい論理であったにしても、そうだからと云って田辺博士式民族国家絶対主義が絶対的に本当だということにはならないわけで、現に民族国家絶対至上主義は、種の論理の精緻綿密を俟たなくても、現代の日本では至る処で提唱されているのである。だから種の論理学者としての田辺博士の功績は別として、社会哲学者としての田辺教授の功績は、専ら、世間にあり振れた民族国家至上絶対主義という常識(?)に、種の論理を接種するという処にのみ横たわる。私は田辺博士に対する当然な尊敬からして、勢い民族国家絶対主義者としてのこの帝大教授は之を度外視して、専ら種の論理学者としての博士の方だけを検討したいと考えるものだ。