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げんだいゆいぶつろんこうわ

現代唯物論講話

戸坂 潤

「現代唯物論講話」白揚社、1936(昭和11)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 251,295 字 · 490 页

青空文庫

だが論理という言葉に劣らず、意識という言葉も亦、この場合、使い方が非常に面倒である。所謂意識に関係した専門家達――心理学者・現象学者・哲学者・其の他――は、殆んど凡て、結局に於て、意識を個人的意識として想定している。と云うのは、意識内容が如何に超個人的な対象に向かおうとも(それは当然なことである)、意識作用の現象する面は、個人的意識の現象面の外へは出ないと考えられる。そればかりではない、純粋意識とか先験的意識とか呼ばれるものは、個人的意識で無ければこそ純粋であり先験的であると考えられているが、それさえ実はそうではない。経験的意識でないからと云って、夫が個人的意識からの比論や拡大であることを妨げない。こうした先天的な意識の概念は、個人的意識から単に経験的という規定を脱落させるという過程によって、初めてなり立った意識概念に他ならない。こういう何かの意味での超個人的意識は、実は却って、経験的な個人的意識のために用意されたもう一つの個人的意識の概念に過ぎないのだ、ということを忘れてはならない。――実際、意識を世界や存在の統一的な説明原理・出発点・としようとすれば、そして之が所謂観念論の軌道に他ならないのであるが、意識の概念は結局に於て個人的意識の概念に帰着する他はないだろう。